転倒の裁判で現役看護師が感じるつらさを考える
最近、Twitterで看護師さんたちが荒れてますね。
看護師になって14年目の私。
早速ぼやきますけど・・・
なんで荒れているかと言うと、このニュースです。
私は急性期病院に勤めていますが、認知症患者は入職した当初とは比べものにならないくらい増えています。
ご家族からしたら、たしかに大切な家族が転倒して障害を負ったことはつらいし、許せないことかもしれません。
その気持ちは本当によくわかります。
ただ、判決の内容がどうしても腑に落ちないんですよね。
他の患者にオムツで排泄させれば良かったと言われて、「そうだ、そうだ!それが正解だ!」と認められるってどういうことでしょうね。
では、オムツでの排泄を強いることで、その患者には不利益はありませんか?
オムツでの排泄ではなく、排泄介助をしていたと言うことは、おそらく、その方も歩行機能は保たれていてトイレに移動もしくは、ポータブルトイレへ移乗可能なわけですよね。
その患者を縛り付けてでも、オムツでの排泄を強制することで、患者は筋力が低下して転倒リスクが増す危険性はないでしょうか。
そもそも、患者のトイレで排泄をしたいという意思を無視してしまうことって、倫理的に問題があるように思います。
残存機能を活かして、日常生活の質を維持・向上させたいと思う看護師にとって、認知症だからオムツで排泄をさせろ!なんて許せない判決です。
看護師って『倫理観』をとても大切にして働いています。
患者さんの希望を叶えたいし、かつ、安全な療養環境を提供する義務もあるんですよね。
認知症の患者を排泄に連れて行ったら、その場を離れてはいけないということは、痛いほどわかっているんですよ。
安全管理のためですから。
看護師がどれだけ臨床で『KYT(危険予知トレーニング)』をしているか、一般の方は想像できないかもしれません。
転倒の事例がある度に「どうすれば防げたのか?」というカンファレンスを繰り返しているのです。
転倒リスクがあるとアセスメントできる看護師が、どうしてその場を離れる選択をしてしまうかというと、そのほかにも転倒リスクが高い患者が複数存在するからですよね。
暇ならずっと付き添ってますよ!
圧倒的にマンパワーが足りていないのが原因だと言えると思います。
現場の忙しさって、働いている看護師にしかわかりません。
私の職場だと、夜勤は総数52床を看護師3人で担当します。
そのうち、麻薬を使用している患者が10名ほど、人工呼吸器管理中の方が多いときは3~4名、ネーザルハイフロー管理中の患者5名ほど、脳転移の患者が3~5名、看取りの近い終末期のがん患者が3名程度、認知症患者が5名程度、転倒リスクが高い患者は15名程度、不穏になる患者が一晩に3~4名程度(重複あり)。
そんな中、仮眠休憩のときは、新人看護師と2人で52人を担当しなければならないのが現実です。
ナースコールが爆音で鳴り響いて、廊下を1万8千歩駆け回って、「患者を誰1人転倒させないぞ!!」と強く思って働いているわけなんですよ。
ときには、患者の家族から「認知症があって、せん妄になったこともある。寝たきりになられたら困るから、うちの親は絶対に転ばせないでください!」と強く言われることもあります。
その約束を絶対に守るならば、患者1人に対して看護師1人が完全看護を行うことでしか果たせないかもしれません。
他の患者を転ばせてでも、うちの親だけは転ばせるなという要求ってなんなんだろう。
そこまで言われると、現場は「あの患者だけは絶対転ばせないように」という患者に不平等な看護師を産んでしまいませんかね。
それで手厚くされる患者と、本当は歩けるのにトイレにも行かせてもらえない患者がでてしまうのは許されないと思います。
看護師は、最低人員で働きながら、どの患者にも平等に対応したいと思っています。
そんな中、この判決。
私は、現場で患者の安全を第一に働いている看護師が侮辱されたような残念な気持ちになりました。
だって、患者さんのために働いたって、認知症の患者を転ばせないように縛り付けろとかオムツで排泄させろとか言われるんでしょう?
それって、患者さんを人としてもはや看てませんよね。
認知症患者に人としての権利は与えられないんですかね。
ああ、もやもやしてしまうニュースです。
これは一個人のただのぼやきなので。
転倒は絶対に防ぎたいし、故意に転ばせたりしたならわかりますが、絶対に転倒させないと誓うためには、患者は全身を拘束しなければならない。
もしくは、一対一で看護する人員を配置するしかないです。
極論ですけどね。
実際に患者さんに、「なんで患者が50人いて看護師が50人いないんだ」とクレームを受けたこともあります。
ああ、つらい。
やってらんない。
・・・現場からは以上です。