しぽログ

働き方を模索する緩和ケア認定看護師の物語

他人の幸せを喜べなくなったことってありますか?


実は先日、ありがたいことに某イベントに参加させていただけまして。妊活中の方との座談会イベントだったのですが、その中で「周りの妊娠を素直に喜べない妬みの感情とどう付き合っているのか?」という切り口で話し出された方がいらっしゃいました。(ろくに妊活をしていない私は場違いなほど、努力されているメンバーの中に入らせてもらいました)



実は私、ここ2〜3週間ほどで3人の友人から出産報告を受けました。3人とも私の流産のことを知っている友人なので、報告を控えるという選択もありそうですが、見事に教えてくれました。嬉しい!!いい意味で遠慮されなくてよかったと思いました!
まあ、これは今までの関係性があってこその報告だと思いますし、おめでたいことだと思っています!本当におめでたい。


不幸を願っているわけでは全くないのに、報告を受けた瞬間に少しだけ傷ついている自分がいたのも事実です。来週になれば、私も流産していなければ産休に入る頃だったのになぁ…という気持ちがひょっこり顔を出しましたね。



まぁ、報告を受けたときの私はおめでとうとは伝えたものの「あぁ、私は今友達が出産したことで過去の自分の悲しみを引き合いに出して、勝手に傷ついたんだな」って自覚しました。



そして座談会に参加したときに、「妬みとの付き合い方」という言葉が出て、ハッとしました。


この感情は私だけじゃなかったんだなってわかったんですよね。



私の見解ですが、他人の幸せを喜べる人って、結局は自分が満たされている人なんだろうなって思ってます。だから、人のことを考える受け皿がある。

でも、自分がうまくいっていなかったり、満たされていなかった場合、自分のネガティブな感情でその受け皿を使い果たしている、もしくは、受け皿のサイズ自体が小さくなっている状況なのかなと思います。

だから、自分よりも満たされていると思う他人のハッピーな情報を手放しで喜んで受け取れなくなっているんですよね、きっと。



残念ながら私は、たぶんあのとき手放しで祝福していなかったような気がします。


おめでたいニュースなのに「またか…」とありがた迷惑のように受け取ってしまう自分はとても悲しい。



とはいえ、流産のことを知っていても、なお離れずにおめでたい報告をしてくれる友人というのは貴重な存在なんだろうと思いました。
きっとそれで私が返信できなかったとしても、絶対に責める人たちじゃないとわかっているし、仲がいいからこそ人伝ではなく、自分で伝えたいと思ってくれたんだろうなという優しささえ感じます。



今の私は、どうしても妊娠や出産に関した喜ばしい情報を素直に喜べる自信はありません。


どうしたらいいんだろう?と考えていたのですが、やはり自分にしか解決できないことだと思います。
これは周りに注意を払ってもらうことでもないし、自分の受け皿の問題なので。



ということは、まずは自分を満たすことから始めなくてはならないなという結論に至りました。私自身が幸せだと思っていないと、おそらくこれから先もずっともやもやと他人のおめでたいニュースに感情を揺さぶられてしまう。



まずは自分が持っているものから。
大切なものから数えてみたいなと思います。妊娠して出産できるのがベスト!ですが、そうじゃなくても、私の周りに残るものはなんだろう。絶対にいくつかある譲れないものを大切にしなくちゃいけませんね。



今もまだ悲しみが残っているから、自分は不幸だと思っていたし、自分には悲しみに暮れる資格があるんだとこだわって、自分が幸せになるチャンスさえ見逃しているような気がしました。



座談会は、辛いのは私だけじゃないと思うきっかけになったし、みんないつしか前を向いて進んでいるんだって気づかせてもらうきっかけになりました。



行くか行くまいか悩んでいましたが、参加してよかったなと心から思います。
そんなことをふと考えた休日でした。

ブログランキング参加中です!クリックで応援お願いします♡
にほんブログ村 病気ブログ 看護師・ナースへ
にほんブログ村

看護師ランキング