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働き方を模索する緩和ケア認定看護師の物語

驚愕!保育士が園児虐待?【虐待する人の心理とワークライフバランスを考える】

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静岡・裾野の私立保育園での園児虐待のニュースで驚いた方もきっと多いでしょう。怒りや悲しみ、憎しみの気持ちが沸いた人も多かったのではないでしょうか。私も会見の様子を見ましたが、虐待の内容もさることながら、会見も納得いかないものでしたね。
この事象から虐待する人の心理が気になったので、少しまとめてみたいと思います。

裾野の園児虐待とは?

非常勤(6年目)、正規職員(9年目)、派遣職員(3年目)の3人の保育士が私立保育園に通う園児に対し、虐待をしていたというニュースでした。
具体的には、園児に刃物を見せたり、午睡の時間に「ご臨終です」と言ったり、倉庫に閉じ込めたり、バインダーで叩いたり・・・という言葉だけでなく、身体に痛みを与えたり、物理的に閉じ込めて精神的な苦痛を与えるなど様々な虐待があったようです。

そして、8月に園内で発覚していたというこの虐待は、公表せずに担当変更などで対処されていたため、保護者は何も知らないまま子どもを預け続けていたということですから、公になったときの保護者の心情を思うといたたまれないです。信用して預け続けていたのに、そこには虐待をする保育士が働き続けていたというのだから、保護者もそれは心穏やかじゃないでしょう。

当事者は会見に出席したり、直接謝罪があったわけではないのだから、さらに怒りがこみあげるのも本当によくわかります。
私が昨日見たニュースでは、非常勤の保育士は9月末、正規職員は11月末に退職、派遣職員は働き続けている・・・と園長が話していたので、どんな感情で働き続けられるのか⁉とむしろその精神力が気になりますが、今朝の記事では、11月末に2人退職したため、当事者3人はすべて園を去ったということみたいですね。

許せないと思ったのがもう一点。
今回の虐待に関して、他言しないように誓約書を書かせていたという報道もされましたね。園の対応は不誠実でしかない。

とはいえ、保育士という道を選んだ3人なので、元々は子どもが好きだったはずです。
そんな彼女たちが、どうして虐待をしてしまったのでしょうか?

虐待をする人の心理とは?

そもそも虐待には種類があって、身体的虐待、精神的虐待、性的虐待、ネグレクト(育児放棄)がありますよね。

どんな家庭に虐待が多いのかというと、1人親家庭、経済的困難などがあります。ちなみに、虐待を受けて育った人の方が虐待をしてしまうというデータもありますよね。信じたくないのですが。

イライラしていたり、疲れていたりという大抵の人は誰でも感じることがある感情によって引き起こされてしまいます。指示が通らないことによる対象の扱いづらさや困難さが原因で、その苛立ちや疲労が強くなることもありますよね。

私は看護師ですが、認知症の患者さんや脳転移がある患者さんに叩かれたりつままれたり、つばを吐きかけられたりしたことがあります。一度や二度ではありません。

ですが、患者さんという弱い立場の人に虐待をしてはいけないというのは当然のことです。堪えるしかありませんが、「看護師は患者さんが相手であれば、暴力や暴言を一生黙って受け入れなければならないのか?」という報われない気持ちにもなりますよね。病気がそうさせるのだから、仕方がないと飲み込むしかないのでしょうか。

他の看護師も同じように暴力や暴言を受けています。
妊娠中の看護師がお腹を蹴られそうになったところも見たことがありました。ベッドから転落しそうになった患者を助けるために駆け寄ったのに、暴力を振るわれるなんて、怖すぎますよね。
もし興奮状態で男性の本気の力で蹴られていたら?赤ちゃんの命を失ったとしたら?それでも、認知症だから仕方ない・・・と守られるんでしょう。赤ちゃんの命は仕方なかったね、で終わるのでしょう。
看護師の待遇をもう少しなんとかしたいですよね。


脱線してしまいましたが、保育士さんもはじめは「子どもが好き」という気持ちから保育士の道を志したことと思います。

それが、報われないストレスや怒りから、つい手を上げてしまったかもしれません。初めて虐待をしたあとは、きっと「すっきりした」という気持ちではなく、「どうしてこんなことしてしまったんだろう」という罪悪感の方が大きかったのではないか?と私は思います。一瞬の感情で虐待をしたその一瞬だけはすっきりしたかも知れませんが、その後虐待してしまったという自責の念は、少なからずあったでしょう。
その後悔の気持ちがありながら、なぜ虐待が続くのか?私は今日。ここにとても疑問をもったわけです。

ギャンブルもそうですが、暴力も一時的に苛立ちやストレスから解放されたという感覚(快感)があり、それに依存してしまう。
虐待というのは、脳の病気だと言われる先生もいるくらい、自分の意思でやめることが難しいんだそうです。そこに依存してしまってはいけないのに、一度経験したら抜け出せなくなってしまう場合もあるんですね。

虐待される側は、もうその場から逃げ出すしか手立てがないのですが、今回は1歳児という自分の力ではどうにもできないし、誰かに助けを求められない園児だったわけです。

私の経験上、人がイライラしたり疲労が蓄積するのって、多忙すぎることと休みがしっかりとれないことだと思いますが。

以下、急性期病院で働く看護師のことに特化してしまうかも知れません。

まだまだワークライフバランスなんて、実現できていませんよね。

1人1人に課せられた役割や責任が大きくて、他者に協力を得ようと思っても、その相手も目一杯抱え込んでしまっている日々で、誰にも助けてもらえないまま働き続けるのは、ものすごい苦行です。
そんな劣悪な環境で働いていて、では休日の生活は満たされるのか?
そんなわけないですよね。
寝て終わりですよ、休みなんて。
寝れればいいのかもしれませんね。持ち帰りの仕事をしなければならないことも多いでしょう。
そしてちっとも回復してくれない身体でまた職場へ向かうんです。

元々助け合いの精神のある人たちが集まる職場ならば、業務量に見合った人材配置さえされれば、1人1人の負担は軽くなり、目も行き届き看護の質は上がると思っています。
社会は、看護師は患者さんのベッドサイドでゆっくりお話をして、穏やかに看護しているという誤解がありませんかね?
患者さんの検温をして食事量と排泄回数と睡眠状況を聞くだけの合計2~3分しか接していなかったりします!これが現実です。

なぜかって、1人で抗がん剤の患者を複数受け持ち、人工呼吸器管理中の患者を対応して、転倒リスクの高い認知症患者を看ながら、入退院の対応をしているからですよ。圧倒的にマンパワーが足りないのに、「今日も安全に質の高い看護を提供してください」と言われるわけですよね。

それはイライラもしますし、辞めたくもなりますよ。
給料もらってるから働け!と思われる方もいるかもしれませんが、私たちはトイレにも行けず水も飲めずに働いているんですよね。
夜勤あり看護師の寿命は10年短いという研究結果もあるんですから。
私たちの命の安さに驚きます。
看護師も保育士も、もう少し働く環境と給料が見直されたらいいのにと思いますね。


だからといって、虐待をしても仕方ないよねという話ではないので、その点は誤解のないようにお願いします。