しぽログ

働き方を模索する緩和ケア認定看護師の物語

言語化する訓練

自分の思考をまとめて簡潔に誰かに伝えるのって難しくないですか?
私にはとても難しい。。。


察する力を身につけようと頑張ってきたもので、自分の努力は相手にも求めてしまうところがある。


「私の思いに気づいてよ」
「私の気持ちを汲んで大切にしてよ」


こんな風に相手に求めてしまうことってありませんか?


この考え方、結局自分が一番苦しむんですよね。
ストレートにでもオブラートに包んででも、言葉にしないと伝わらないこともあります。


私は4月から看護学校の講師になるわけなのですが、どうも言語化することが苦手な気がします。
得意な方だと思っていたけど、大多数の他人がほとんど同じような認識をする伝え方って難しいですよね。
講師の仕事をくれた先輩は教員になって5年が経ったと言っていました。


先輩は伝え方も柔らかくて、わかりやすい説明ができる人でした。


私もそんな講師になれるかしら。


自分の考えをなんとなく雰囲気で伝えることはありましたが、聞いた人が同じように解釈できるほど言語化できていない気がします。


どこを鍛えればいいのでしょう(´・ω・`)


まず、自分の考えがまとまっていないのに、着地点が定まっていない状態で見切り発車してしまうんですよね笑
致命的な気がしてきました。


話しながら論点がずれていくことも多々あります。


まずは徹底的に自分自身と対話しないといけないんだろうなと最近よく思います。



面接で院長先生や事務長さん、看護師長さんと話したときや看護学校の教員、学科長と話したときに話しながら自分の考えがまとまる感覚がありました。
自分の中では結論が出た上で面接を受けていたつもりでしたが、話しながら「自分がやりたいことはこういうことか」とか「私ってこういうことはけっこう大事に思って今までやってきたんだよな」とか気づかされることが多かった気がします。


自分の中でも自分の深層心理みたいなところを認識できていないこともあるんですよね。


徹底的に自分の考えを絞り出して、それこそ自問自答したときにようやく自分の思考がまとまって、それをアウトプットすることを繰り返すのが言語化できるようになることへの近道なんでしょうね。
近道と言ってもかなり時間がかかることなんですけれど。


今まで『なんとなく』でやってきたことって多かったんです。
自分の軸がしっかり定まっていないと絶対にぶれてしまうし、誰にも響かないだろうと思います。


看護学生への講義資料を作成するときにも、教科書の丸写しをすればパワポなんて楽なんですけれども(´・ω・`)
実践経験があるからこそ深く伝えられることもあるだろうし、そこを学校には求められているだろうし。



正直なところ、私は看護学校の講義内容はひとつも記憶に残っていないんですよね。
私が講義をしたところで、看護学生は私の講義を覚えていられないかもしれません。


どうすれば記憶に残るだろう。
テストに合格することだけがすべてではなくて、終末期の看護ってここが面白いんだよってことを伝えられるかどうかは私の力量にかかっているんだと思うと責任重大だな。


私は臨床経験でいろんな後輩看護師を見てきましたが、お金を稼ぐ手段として選んだ仕事だったとしても、看護の中にやりがいを持っている看護師を見つけるとすごく嬉しかったんですよね。
そういう後輩を育成するお手伝いができるなんて、今の私にとってこんな幸せな仕事ってないかもしれません。


何を学ぶか?も大事だとは思うのですが、
誰から学ぶか?もけっこう大事だったりしますよね。


私だからこその講義を追求しようと思うと、それはそれで手間のかかることなのですが、一人でもいいから看護師になってつらくなったときに『学生の頃に習った終末期の講義の先生は看護の楽しさを教えてくれたな』と思い出してくれる人がいたらとても嬉しい。
もしかしたら終末期の看護に興味を持ってくれるかもしれないし、仲間が増えることは純粋に嬉しい。


教科書だけでは学べないことをどう伝えるのか。
この点に数ヶ月は悩まされそうです( ・∀・)


みなさんは、今も忘れられない先生っていますか?

とか問いかけてみる。
心で答えてみてください(笑´∀`)